眞福寺善本目録  黒板勝美博士編

名古屋市の眞福寺が内外典國書の古鈔本・古刊本・孤本□の□を夥しく所藏する事に於いて、海内屈指の名刹であるのは、今更らしく云ふまでも無い。「國寶に指定せられたるもの二十八點、又當に國寶に指定せらるべく、もしくは國寶に準ずべきもの殆ど一百點に及ばんとす」と云ふので、察するに餘ある事である。稱名寺の金澤文庫や,鑁阿寺の足利文庫の藏書の散佚が甚しかつたに引きかへ、眞福寺のは比較的よく保存せられ、所轄の尾州藩では數度藏書を點檢し、文政四年には二十二卷の目録を寺社奉行に作らしめたが、簡に過ぎ、或ひは現存の善本にして其の目録に收載せられないものもあるので、新に黒板博士監督の下に精査せられる事と成り、其の仕事には昭和四年以來毎歳夏期休暇が當てられ、年を閲すること七年、今年昭和十年に至り、目録三櫃が作られるに至りて完了した。一方では其れら古書を收納すべき新文庫の建築も大いに進捗し、篤學の士が文庫に行けば閲覽できるやうに成るのも近い事と成つたので、博士は其の善本二百四十一點の目録を作成して、世に頒たれたのである。菊版假裝一四四頁、書名五十音索引九頁、其の他、序と凡例各二頁づゝがあり、卷頭には眞福寺の開山能信上人の像と、新文庫の外觀寫眞とが添へられて居る(因みに、其の像は口繪寫眞で見ると、極めて古代のものに見えるが、十月の大阪府立圖書館に於ける眞福寺善本展覽會に出陳せられたのを見ると、時代の新しい、拙劣な、無下の模本であつた)。さて此の目録に載せられて居るものは二百四十一點で、漢籍・國書・佛書・神祇關係書・古文書及び眞福寺關係書の順に配列せられて居り、國文學關係者の興味をもつものとしては、遊仙窟・將門記・日本靈異記・古事記・同上卷抄・水鏡・神道集などがあるが、國語學や小學關係のものに、宋玉篇・廣韻・禮部韻略、聚分韻略〈日向眞幸院版〉等の古刊本・口遊・和名抄・文鳳抄・擲金抄・明文抄・四體千字文・音義書、大般若經音義・員金聞書・韻字寄・韻鏡珪玷集・梵漢同名釋義の如きがある。其の他の書も、其れ〴〵の研究家が見たならば、其れ〴〵刺戟せられる事であらう。ところで、解題書としての本書を見るに、短くて一行のものも、長くて五頁程のものもあるが、概して書物の内容や書誌的性質を説くと云ふよりは、奧書類を列記するを主眼として居るやうで、此の點では、立場の相異であるとは云へ、やゝ異も稱へられさうである。例へば小學書に「音義書一卷、縱九寸七分、全書二尺三寸。鎌倉時代刊本、卷子本、漢字音及び字義を註書せり」と云ふのがあるが、是れだけでは、外典の音義であるか、内典の音義であるか、假名の訓註があるのか漢文註のものであるのか、本文順であるのか、部首式であるのか完本であるのか、斷簡であるのか、と云ふやうな點は全く判らぬ。「刊本」と云ふのも眼福を得ないものは、何だか不安なやうである。「韻字寄」も假名書であるか何うかは判らぬ。「梵漢同名釋義」に成ると書物の内容には全然言及して居ない。「員金聞書」の如きは「音韻書にして文中□音を圖示せり」とあるから、書名と結びつけて韻鏡の聞書(員金は韻鏡の略、信範記を人車記と云ふ類)であるらしい事が想像せられるが、然う云ふ解説は目録には無い。文鳳抄、擲金抄の如きも、其の書を見た事の無い人には理解ができさうにない書方である。斯う云ふ稀覯書は、眼福の得易からざるものだから、解説は成るだけ老婆心的であつて頂きたいと思ふ。とは云へ、頁數の都合などから□筆者の意の儘に成らぬ事のある可きは察するに難く無い。吾人は、此の目録を見るにつきて、七年かゝりて――夏休だけの利用ではあつたけれど――博士が文庫を點檢し、今後は一般の學者が大須本眞福寺本を容易に拜見できるやうにして下さつた事を感謝し、同時に其の閲覽の實現の一刻も速かならん事を祈つて置く。さて本書は昭和十年十月十七日の發行、發行所は澁谷區櫻丘町七八の博士御宅である。定價は記してないが、大阪圖書館の陳列會場では五十錢で賣つて居た。(岡田)