近世狂歌史  菅竹浦氏著

江戸時代の文藝として最も多くの鑑賞家と創作家とを持つて居たものは、何といつても俳諧狂歌とであらう。しかも俳諧芭蕉を得蕪村を得て、藝術的に高い水準にまで達したのに反し、狂歌は遂に言語遊戲として終始した。今日狂歌が人々から殆ど顧みられなくなつたのは、即ちこの故である。それでも相當教養ある人なら、蜀山人の名を知るものなほ甚だ多いであらう。さうして蜀山人の名が直ちに狂歌と結びつけられて居る事はいふまでもない。この意味で狂歌はなほ現代人の意識の中に生きてゐる。又假今蜀山人も四方赤良も、日本人の常識からすつかりなくなつたとしても、過去のある時代に狂歌といふ文藝が恐ろしく榮えた事實は、どうしたつて消え去る筈がない。もし文學史を□□□□□、今日の文藝的標準から見て價値ある作品や作家の研究のみに限らるべきものでないとしたら、かうした近い過去の著しい文藝的事實を閑却する事は、決して許されないであらう。何故に、又如何なる状態で、さうした文藝が江戸時代の人士に喜ばれ榮えたかを考察する事は、延いて江戸時代文藝の全體に亘る本質を闡明する所以でもある。
菅氏の狂歌研究は隨分古くからの事である。氏が「狂歌梗概」と題する一書を世に公にされたのは明治三十五年であつた。當時佐々博士は序を送つて、「思ふに著者は篤學の士なり、孜々として世人の未だ着目せざる所を研究しぬ」と言ひ、従來文學史家から閑却された狂歌史を成した事について、氏の學に篤い所以を稱された。爾來實に三十年、しかもその間狂歌研究の冷遇される事は、依然として舊の如くであつた。ひとり菅氏の研究は、その後更に微に入り精を極め、狂歌に關する文献にしても氏の目を歴ないものはないといふ熱心さであつた。それが氏の本職とする刀圭の餘暇になされたのであるから、一層驚かれるのである。而してその努力の結晶がこの大著となつたのであつた。
まづ全篇の組織から紹介すると、序論・發生史論・江戸時代史前期・同後期の四部から成り、外に外篇を附してある。序論では狂歌の本質を論じ、發生史論では江戸時代以前に於る狂歌の源流を探り、狂歌の字義名稱等について詳しく考へて居るが、勿論本書の中心をなすべき部分は、江戸時代史前・後期の二篇にある。前期は所謂京阪時代で、民衆文藝の勃興に伴ひまづ浪花を中心として榮えた時代を説き、後期は即ち狂歌史上の黄金時代たる江戸の狂歌について述べて居る。而して一々概説、系流、作家の傳記、特色、著書、代表作等をあげて、或は時代の變遷を一目の下に瞭かにし、或は一家の出自、風格等について精細な考證批判を加へて居る。藤井博士の序に、「管竹浦君は狂歌研究の第一人者で、刀圭の餘暇熱心に斯道の典籍を渉獵して、その源委變遷の跡を尋ね、盛衰隆替の理を極めて、精細無比な狂歌史を著された」と言はれて居るのは、決して溢美の言ではなく、實際今日これだけの精細な狂歌史を成し得るものは、著者を措いて他に求める事は出來ないであらう。
もとより本書に對しても望蜀の念とすべきものが無いではない。例へば頁數の節約から止むを得なかつた事ではあらうが、別項に説くべき事を約しながら、その別項が説かれないで終つて居る箇所が少くないのは、第一に遺憾とすべき點である。勿論それらの點について、著者は他日の發表を期して居るのではあるが、纒つた一部の狂歌史たる體裁上簡單でも何かの形で別項參照が全くされて欲しかつた。又狂名の最初として池田正式の平郡實柿・布留田造よりも、横井也有の富士螻丸を先とした如き失考もある。しかし著者によつて始めて世に紹介された新資料、著者によつて始めて考證された新事實、著者によつて始めて正しく解釋された新見解、それらの例に至つては一々枚擧する遑がないくらゐである。例へば鯛屋貞柳の一節だけについても、かの人口に膾炙する「箔の小袖に繩の帶」は師信海の歌たる事を明かにし、貞柳としては「紙子に錦の裏」をその標語とすベき事を主張したのを始め、幾多の新しい疑問を提出し、又從來の誤解を正して居る。思ふに狂歌史研究上に於る本書の業績は單に劃期的といふより以上に不朽のものであらう。
研究としてよりもむしろ興味ある讀み物として、一般の讀者にも迎へられるべきは外篇である。こゝには江戸狂歌界の影武者、江戸の狂歌師と其後繼者・戯作者と狂歌・餘技としての狂歌の四章を收めてあるが、就中餘技としての狂歌の一章は、江戸時代の名ある學者・歌人等の狂詠並にこれに關する逸話を網羅して、深い興味をそゝるものがある。なほ卷頭に掲げた數葉の口繪、卷中に豐富に挿んだ寫眞版は、いづれも稀覯若しくは重要な資料として益を受け目を喜ばせる。全體を通じた索引がないのは些か不便であるが、その代り目録が非常に詳細なので、大體の凡當は容易につけられる。著者自身から聞く所によれば、實は索引も詳しいものを附し、別に狂歌書目年表をも添へる豫定であつたが、頁數の都合上止むなく割愛するに至つたのだといふ。但し狂歌書目年表は別に一冊として近く單行される豫定であり、これには本書にまで通ずる索引を附するさうだから、便益は愈々加はるにちがひない。該書目年表の公刊の一日も早い事を祈るのである。(潁原)
(東京中西書房發行。三百部限定版。定價七圓、昭和十一年二月二十日まで特價五圓)