川瀬氏は兩本の(ち)部の寫眞を出して居られるから、今寫眞と比較できるやうにチ部を擧げると

   知 平
〈チマタ/カイ〉 衢〈同/ク〉 阡〈同/セン〉 陬〈同/シウ〉 塵〈チリ/チン〉 埃〈同/アイ〉
〈チコ/シ〉 幾〈チカシ/キ〉 茅〈チカヤ/ハウ〉 千〈チヽ/セン〉 盟〈チキリ/メイ〉 親〈チカシ/シン〉
〈同/リン〉 岐〈チマタ/キ〉 邊〈チキル/ヘン〉 爺〈チヽ/ヤ〉 逵〈チマタ〉 爹〈チヽ/タ〉
   知 仄
〈チマタ/カウ〉 陌〈同/ハク〉 父〈チヽ/フ〉 陣〈チン〉 血〈チ/ケツ〉 脉〈チスチ/ミヤク〉
〈チ/ニウ〉 智〈チ〉 粽〈チマキ/ソウ〉 軸〈チク〉 力〈チカラ/リキ〉 小〈チイサシ/シヨウ〉
〈チキリ/ケイ〉 約〈同/ヤク〉 誓〈チカイ/セイ〉 邇〈チカシ/シ〉 近〈同/キン〉 散〈チル/サン〉
〈チリハム/ル〉 屓〈チカラヲシス/キ〉 釁{チマツリ/キン}

と云ふ風である。(幾字が平字に出て居るがこれで可い)寫眞では別本の仄字の全部は出てないらしく、平字のところしか比較できないが(其の平字も是れで全部であるか何うか判らないが、二六頁の説明の所に明應本と別本とに共通の文字十三字とあるから、これで全部だと認められる)三本の平字所收の語を比較すると、明應本十五字、別本十八字、色葉交字十八字、此の中、

  • 街衢岐阡塵埃千茅盟爺親 の十一字は三本共通
  • 鴴茶 の二字は明應本・別本共通(故に兩方共蓮は十三字)
  • 陬隣逵爹 の四字は別本・色葉文字共通(故に兩本共通は十五字)
  • 兒 の一字は明應本・色葉文字共通(故に兩本共通は十二字)
  • 茗 一字は明應本獨特字
  • 周 一字は別本獨特字
  • 幾 邊 二字は色葉文字獨特字(但し幾は別本仄の部にあり)

と云ふ具合で、別本と色葉文字とは字數が多いだけに共通字も多い。又字の連續状體を見るに、別本と色葉文字との間では、二字連續の場合三(街衢、茅千、逵爹)、色葉文字と明應本との間では一例(塵埃)あるが、明應本と別本との聞には此の種のものは無い。なほ川瀬氏は明應本や別本に見えて平他字類抄に見えない鴴が倭玉篇(希云、但し活字本、及び慶長整版本のこと。長享本温故知新書、運歩色葉集などには見えない)には出て居る事から、伊呂葉字平它は倭玉篇が參考せられて居るかも知れないと云ひ、倭玉篇の成立を南北朝中期以後に擬定して居られるが、此の字が、色葉文字に見えないのは面白い。(此の字を川瀬氏が問題にせられる理由が判らない。字としては漢玉篇に見え、これをチドリと訓じる事も、類聚名義抄、字鏡集以來の事にして決して珍しい事では無いからである。此の字を材料として倭玉篇と伊呂葉字平它との關係を考へるのは何うかと思ふ。