本書とよく似たものに、川瀬氏指摘の新韻集二卷がある 全くの色葉分類平仄辭書だが、イロハ各部の部名字は、平他字類抄よりは色葉文字に近く、仄と云はず他と云ふ點は、平他字類抄や伊呂葉字平它に似て居る。字數は色葉文字よりも遙かに多く平字三九一五字、他字四三二五字、計八二四〇宇あり、チ部平で云へば二六字あり、(鴴は無し)色葉文字と共通のもの十五字、明應本と共通のもの十三字、別本と共通のもの十四字、二字三字連續のものゝ一致は色斐文字や明應本との間には三例づつあるが、別本との間には全く無い。これも何うやら色葉文字と近いらしく其れよりも詳しい。書名は新韻集と云ふが内題と見る可きものには色葉字、色葉集(二度見ゆ)とある。萬里居士の撰だと傳へられて居るが正否は知らぬし、色葉文字との前後も判らぬ。(新韻集にトバウ、クビスとあるものが色葉文字ではトンバウ キビスとある例もあるが、語史的考察により決定するまでには至らぬ。黒川春村は「今攷其音訓、的在文明年間」と云つて居るが、果して何うか。とにかく新韻集も伊呂葉字平它と無關係の成立であるかは知らぬが――序文には支那撰述の韻書字書を擧げて居るのみ――實質上は其の一類であると云つて可いと思ふ。

さても一つ、色葉平仄韻書がある。其れは伊呂波韻で、これは徳川期の刊本は多いが、慶元頃とか寛永初年頃の刊本を見ず、古寫本も見ないから、室町期のものであるか何うか、何う云ふ本文が代表的のものであるか寛永二十年の刊本では四八六二字を收む)は判りかねるが、永祿二年十二月の日蓮宗の僧日我の「いろは字盡」と云ふ色葉辭書(意義分類はせず、一字二字三字と云ふ風に字數で次第して居て、節用集よりも不便である)にイロハインとあるものと、同じで無いまでも一類である事は想像しても可いとすると、やはり室町期のものであるらしい。しかしてこれは、三重韻を色葉平仄式に改編したものだから意義分類も存するので、伊呂葉字平它、色葉文字新韻集などとは性質が異るが、色葉平仄辭書である點では同じだから參考に擧げたまでゝある。

色葉文字を見て査べたのは、昭和七年五月で、内容上大して重視すべきものとも考へないから紹介もせずに置いたが、今川瀬氏の紹介に因みて續貂的に紹介し得るのは望外の喜びである。但し國語學上の觀察は本誌の性質上全部割愛した事を附記して置く。

  • (昭和十三年八月十四日稿)