さて中島翁本は寛永四年九月版、寛永二十年四月摺本、寛永二十一年七月版〈此の年十二月二十三日に正保と改元せらる〉の二版三種であるが、前二者は何れも第五卷のみの零本であり、二十一年本のみが完本である。だが此の四年版(及二十年本)とニ十一年版とは、第五卷について云へば、冠彫カブセボリで全く同じであるから〈細部に於ては小異の存する事は、調査せずとも考へ得る〉今二十一年版を以て寛永版眞草倭玉篇を代表せしめて體裁を説くに、美濃半截五卷五册の横本で、本文は一頁五行四段、目次のところは八行五段、各卷々首には「眞草倭玉篇卷一〈目録〉」と云ふ風に陰刻し、本文最初にも「眞草倭玉篇卷一」と云ふ風に陰刻しあり、卷尾内題は陽刻にて「眞草倭玉篇卷一終」と云ふ風にある。行段は界線で劃せられて居るが、一枠の中を縱に少し界を施し、向つて右側に主の位置に楷書を左に從の位置に草書を書き、〈此の主從の關係は眞草二體節用集とは正反對である、節用集では言葉が主であるから、行草體を主たる本文としても可いが、倭玉篇では、部首分類式だから、眞書を主とし、草體を從とする他は無いのである。但し後には此の逆のものも出て來る。〉音は一音の時は楷書の右に、二音の時は左右に書き、訓は楷書の下に書き、普通は一字一枠だが、訓註の多いものはまゝ二枠を占めて居る。草體は必ず存し、籀文や古文にも草體を書いて居るが、これは妥當であるとは云へない。部首の數や種類は慶長版や元和版と同じく、本文の部首字の上の飾模樣も、慶長版や元和版と同じである。第五卷は七十六丁の裏頁に本文が二行あり、第三行は卷尾内題にて「眞草倭玉篇卷五終」とあり、第四・五の二行に刊記がある。此の體裁は三本とも同樣で「玉篇の研究」に見えた二十年本の寫眞を見れば可い。