韓國の虎ちふ神 二 : 虎の崇拜と虎の語原
- 岡田希雄
- 『ドルメン』2(9); 5-1 (1933)
四
さて、右の如くに廣く檢して見ても、トラと似た形のものとては見あたらず、t の音を有するものゝ中、tiger と成るやうな類のものでは無くして、a・u・o の如き母韻を伴ふものを求めると、
- 滿洲語の tas-ha 系統のもの
- オロチョン語の duse
- 支那梵語の於菟・烏擇(ギリヤークの at, attと形がやゝ似て居る、但し關係の事は知らぬ)が存するのみであるに過ぎない。南方系に至りては Dioi の toueu を除くと全く形は異つて居る。して見ると、自分の手にして利用できた材料のみから云へば、國語のトラに類似した形は先づ見當らないと云はなければならぬ。さすれば外來語と見る事も、輕々しくは云へない事であるが、自分としてはやはり、豹に對する國語ナカツカミ――
中之神 の義であらう――の如きでは無いと思ふ。しかして私が結びつけようとするのは、朝鮮語である。
蓋し萬葉集にも「韓國の虎ちふ神」と云ふ風に詠まれて居り、其他日本紀中の虎の記事は朝鮮關係のものであり、處と朝鮮とを結びつけるは不都合であるらしくも想はれないからである。其の上、朝鮮語が日本語と最も親しい關係にある語であると云ふ事實も存するからである。ところが其の朝鮮語に於いては虎と云ふ語は上述の如くにして、決してトラと云ふ語と似た形のものは存せないのである。其れにも拘らず、私が朝鮮語に結びつけて、トラの語原を知らうとしたのには大膽過ぎる妄説を抱いたからである。斯くて私はその私の解釋の當否を質したい所存から其れを書いて纒めようとして居る際に、たま〳〵小倉進平博士の「平安南北道の方言」(昭和四年三月刊)を讀み「山人蔘採取業者の隱語」の章の中に、彼等山人蔘の採取に從事する人間が「單に日常使用する朝鮮語を使用することは、却つて人蔘の生ずる靈域をけがし、山神の忌諱に觸れ、隨つて人蔘の收獲も減少すべしといふ一種の信仰」に基いて、種々の隱語を使用して居る記事を讀過したのであつたが、其の中に、彼等が隱語として、虎の事を
- to-ru-par-i
- 江界郡
- to-ru-pa-ri
- 慈城郡
- san-chu-in
- 厚昌郡
と呼んで居る事を知り、愕然としたのであつた。蓋し to-ru と云ふ形が、他人の空似かは知らぬが餘りにもトラと酷似して居るかに見えたからである。だがしかし、小倉博士は san-chu-in が、「山主人」の義であることを指摘して居られるに過ぎずして、to-ru-par-i, to-ru-pa-ri には全く言及しては居られないのである。一體隱語と云ふやうなものは、語原語史の不明なものが多いから、恐らくは、小倉博士もトルには言及せられなかつたのであらう。して見れば私の如き門外漢には此の to-ru-par-i につき考へて見ようとする事さへをこがまし過ぎる事であると信ずるし、又實際、考察できる筈も無いので、今は全く此の to-ru 云々には觸れないのである。しかも、なほ、トラを朝鮮語に結びつけて行かうとするのである。全くの妄説である事を、くれ〴〵もお斷りせなければならぬ。
さて私の妄説は、即ち、朝鮮の古語では 「靈」がトラと云ふのに近い形であつたのでは無いか、日本語のトラは其の 「靈」と關係があつたものでは無いかと云ふ解釋であり、全く素人の考へである。以下盲蛇式にあつかましく述べて見る。
五
現在の朝鮮語では、
- 神
- sin(神の字音) kui-sin(鬼神の字音) thyön-sin(天神の字音、hはアスピレートを示す)
- 鬼
- kui-sin(鬼神の字音)
- 魂
- hün(字音である、母韻は第九母韻)
- 靈魂
- hon-ryöng(魂靈の字音)
- 靈
- sin-ryöng(神靈の字音)
の如きは、皆字音語であるやうだが、(方言俗語の事などは私は知らぬ)訓蒙字會にも
- 鬼
- kuis-kös(中ノニウ)
- 神
- sin-ryöng(中ノニウ 神靈の字音)
- 魔
- kuis-kös(中ノニウ)
- 魂
- nök(中ノ三五オ)
- 魄
- nök(中ノ三五オ)
- 靈
- sin-ryöng(中ノ三五オ、神靈の字音)
とあり、孫穆の雞林類事にも
- 鬼曰幾心(前間氏云、鬼神の音讀にてkui-sinなりと)
- 神曰神通
とあるといふ風であり、神や靈を示す純粹の朝鮮語は、全く不明であるが、更らに古く溯り行くと、私は「靈」を示す語に tor, tar と云ふやうな形が存したのでは無いかと疑ふのである。其の理由は左の如くである。
六
高麗史卷五十七地理誌(二五四頁。三國史記卷三十六、地理志三の四頁は高麗史に比し簡であり役にたたぬ)に、
- ○馬の訓は mar(龍飛御天歌や訓蒙字會による。雞林類事に「末」とある、a は第十一母韻であるが今では第一母韻と成つて居る)
- ○突は字音が tor(月韻。華東正音の音も、今のも同じ)
- ○珍の古訓は tor に近い音(此の古訓らしいものは、日本書紀神功皇后新羅征伐の條に出て居る
波珍干岐 の名に見えて居る) - ○等の学音は現在では、tung tüng に近い音であらうが、古くは日本に於けるやうに母韻が o であつたかも知れぬ。
- ○良の字音は今は ryong だが、これも古くは日本字音のやうに、母韻が a であつたかも知れない。だが一方では等字は
吏讀 の訓としては、tàr 又は tùr(前間氏による、à は第十一母韻だらうから tar 又は tür と書いてもよいのだらう。我が國民國語の曙四二二頁參照。此の訓は日本語の連ツレ、タチ、ドチと關係あるかも知れない。tür(小倉博士の吏道註解三三一頁による、但し羅馬字は今勝手に使用)であるから、良字を附加したものとし、「等良」の二字を tör, tür と讀む事できる。
さて斯く解釋すると、馬突・馬珍・馬等良は何れも、mar-tor に近い發音を示したものと見なければならぬ。三國史記祭祀志所見の武珍州の武珍岳を今では無等山と書いて音讀して居るが(前間氏による、四一三頁)これも「珍」の訓と「等」の訓とで、同じ發音を示したものであつた。
また百濟で難珍阿縣を月良縣と書いたのも(高麗史二五四頁)
- 珍阿は先づ tor-a
- 月良は良を語尾の附加的なものとすると tar
と云ふやうな關係であつたらしい。
とにかく右の如くに、馬突は、mar-tor に近い形であつたのだが、其れが新羅人により「馬靈」と書き改められたのである。して見れば「靈」が tor に相當するらしい事、云ひかへれば百濟の tor は、新羅には「靈」に相當する語であつたらしい事を考へてもまづ支障あるまい。無論、高麗史地理志を見るに、地名の變更は、必ずしも今のやうな解釋のみが可能であるとは決して云へないのは明白な事實であるから
- tor=靈
と云ふ事は輕卒には云へないのであるが、右の「馬靈」の例は、わり合に右の推定を下さしめる可能性があるものと思ふのである。斯う云ふ例は乏しいのだが、他に次の如き例もある。即ち全羅南道木浦の東五六里の靈巖と云ふ地名は、本は百濟の地名としては月奈郡であり、其れが新羅の景徳王により、靈巖郡と改名せられたものであるが、其の月奈は山名から生れた名であり、其の山は
- 月奈(百濟人の書き方)
- 月奈岳(新羅人の書き方)
- 月生山(高麗初期の書き方)
- 月出山(高麗初期以後の書き方)
などゝ書かれて居る。(高麗史二五九頁下)しかして
- 月の訓は tar 第十一母韻、訓蒙字會上卷一オ。今は第一母韻。蒙古語の sara 契丹語の賽離 sa-li、賽伊兒 sa-yi-er (伊兒はそれ〴〵口篇を有す。今は印刷の便宜上伊兒に作る)と關係あるが、日本語では、萬葉集所見の
佐散良榎壯子 、佐散良衣壯子の「散良」と關係あるやうだ - 生・出の訓は na であるから、奈で示されて居る(國語の
生 ・生 のナと關係があらう)
のだから、月奈は tar-na であるか、若しくは其れに近い呼稱であつた筈である。しかし此の山名に因む
- 百濟の奈己郡を新羅の奈靈郡と改めたもの(三國史記三五ノ五頁)
- 大加倻郡を景徳王が高靈郡と改めたもの(高麗史二五〇頁)
- 百濟の武尸伊郡が、新羅景徳王により、武靈郡と改められ、高麗に成りて更らに、靈光郡と改められたもの(高麗史二五九頁上、三國史記三六ノ六頁)
もあるが、何れも、何う云ふ風に改められたのであるかを考へ得ないから、是れらは全部除外する。從つて、靈字の古訓に關する私の考察が、實に論據微弱のものなる事は、私はもとより充分認めるのである。但しそれにしても、「靈」を tar 又は tor と云つて居たのは、百濟の事であるか、新羅の事であるか、其れとも百濟も新羅も然うであつたのであるか、と云ふ事に成ると、一見何でも無い事に見え乍ら、事實は決してそんなものでは無く、何うとも解釋が出來るので、決定は貧しい事である。そして此の事は、新羅・百濟・高勾麗・高麗などの朝鮮古地名を査べて、朝鮮古語を研究する場合には、いつも附き物なのである。
七
かくて私は「靈の朝鮮古語が、tar 又は tor であつた」と假定して、こゝに日本語のトラと、tar 又は tor と結びつけようとするのである。しかして其の理由は、既でに讀者も氣づかれたであらうが、虎が靈力ある
さて斯うなると、虎の如き猛獸に對する古代人の畏怖心理の考察も各種の民族にわたりて、せなければならない筈であるのだが、私には然う云ふ暇は無い。しかし乍ら確かに、われらの祖先は、虎を「神」として居た。其の證據は萬葉集卷十六の終にある乞食の詠に
韓國乃 虎云神手 生取 爾
とあり、又欽明紀六年の巴提使の條にも、虎のことを「汝
- 狼を
- オホカミ(大神の義)
- 狼を
- マガミ(眞神の義。萬葉集卷八に「
大口能眞神之原 」、卷十三に「大口乃眞神之原」) - 狼を
- カシコキカミ(欽明紀のはじめ、
秦大津父 の條に、狼を「汝是貴 神」と云つて居る) - 豹を
- ナカツカミ(和名抄に見ゆ、紀の古訓も是れである)
- 大蛇を
- カシコキカミ(神代紀、大蛇退治の條の一書に、スサノヲノ神は大蛇に向ひ「汝是
可畏 之神」と云つて居られる) - 熊を
- カムイ kamui(但しアイヌ語である)
- 海豹を
- カムイ kamui(但し樺太アイヌの云ふ事)
と云ふのと同じ事である。蛇形であると信ぜられて居る谷間の水神を、クラオカミの神と云ふのも、オカミの語原は判らないが(クラは谷の事、此の語は北方系の語であると思ふ)或ひはオカミのカミは神であらう。神の義で無いにしても、ミが靈物の義であるのは、記紀の神名を一寸査べて見れば直ぐ判る事である。ヲロチ・ミヅチの如き龍蛇の名稱に「チ」が添うて居るのも、彼れらが靈力あるものと信ぜられて居たからであるのは、今更述べるまでも無い。本居宜長が古事記傳で
さて凡て
迦微 とは古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる此に坐 御靈 をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獸本草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならず、すぐれたる徳ありて、可畏 き物を迦微とは云なり
と云つたのは、今の宗教學にても動かせないのである。しかも虎は恐しいものゝ中にても、恐しい猛獸である。(印度に獅子の居ないのは、もとは棲息して居たのだが、虎を避けて棲息せなくなつたのだと云はれて居るくらゐである)。さらに、虎に關しては皇極紀四年の條に
高
麗 學問僧等言 、同學鞍作 得志、以㆑虎爲㆑友、學㆓取其術㆒、或使㆔枯山 變爲㆓青山㆒、或使㆔黄地 變爲㆓白水㆒、種々奇術不㆑可㆓殫 究㆒、又虎授㆓其針㆒曰、愼矣愼矣、勿㆑令㆓人 知㆒、以㆑此治㆑之、病無㆑不㆑愈 、果如㆑所㆑言、治無㆑不㆑差 、得志恒以㆓其針㆒隱㆓置柱中㆒、於㆑後虎折㆓其柱㆒、取㆑針走去、高麗國知㆓得志欲㆑歸之意㆒與㆑毒殺㆑之
と見えて居る。實に荒誕な話ではあるが、現在でも狐狸の靈力を信ずるものがあり、書紀通釋の著者飯田武郷でも「かゝる獸類は、幽顯に出沒するものにて、奇術を知れるは本よりなれば」などゝ云つて居る程であるから、まして、虎害に惱んで居た筈の古代の朝鮮人は虎を畏怖する餘り靈物視した事もあるであらう。然らば其の虎を靈物視する思想は日本にも傳へられた事であらう。又三國時代に朝鮮半島の東海岸地方(但し辰韓よりは北、高勾麗よりは南、と云ふから、今の江原道の邊であつたらう)に「濊」と云ふ種族が居た。高勾麗と同種族であるから、夫餘系の種族であつたが、これは魏志東夷傳に「祭㆑虎以爲㆑神」とあるのにより明らかであある通りに、虎を祭つて居たのである。しかして虎を神として祭る事は、現在でも滿洲北部のツングース族 Tunguse の或るものには行はれて居ると云ふから、北方ツングース系種族の間の虎崇拜はかなりに縁由の古いものと認めてよいと思ふ。虎崇拜は、宇野圓空氏の宗教民族學二三五頁に「動物では象・獅子・虎・河馬・鰐・大蛇、植物では榕樹・椰子その他の薬草や芋の類に宗教的な意味が認められるのは、熱帶地にかぎられ、極地に近いところでは大樹の崇拜などは見られず、海豹や鮭に關する儀禮はまたこの邊に特有のものである。」と云つて居られるのだが、必ずしも熱帶地に限られた事でも無いのであつた。
八
虎の語原に關する私のおほけなき妄論は是れで盡きる。要するに「トラと云ふ日本語は、日本人が案出した純粹の日本語であるか何うかは判らない。假りに外來的なものとすると、古代朝鮮語と關係あるのではあるまいか。しかし虎を意味する朝鮮古語は不明である。虎を靈物視して居た古代朝鮮人が、虎を『靈』の語で呼んで居て、其れが我が邦に傳はつたのではあるまいか」と云ふのである。しかして此の論を試みるには、古代日本人と古代朝鮮人との民族的關係――兩民族は共に北方系で、ツングース系であらうとする學説もありて、兩民族の親密な關係が説かれて居る。其の事を意味するのである――にも少しは觸れなければならない筈だが、今は然う云ふ事は全く止める。
「靈」の朝鮮古語が、tor 又は tar であつたと見る私の論は、實に奇なものである、此の説が成立せないならば
- トラ=靈(tar, tor)
と云ふ結論は無論崩れる。しかし語原説は崩れても「虎を祀る」と云ふ話だけは、本誌の祀事として、載せて頂いても大過は無いと思ふので、此の文を物した次第である。私としては「靈」の朝鮮古訓に關する「暴虎」の盲蛇式妄説につき叱正を乞ひたく思ふ。(昭和八年六月七日稿)
附記
拙稿八月號の分には誤植やら齟齬やらがあるから訂正する。先づ誤植としては
- ○八五頁第三段第十行、第十三行、第十五行、第十六行の「撰」字は皆「虎」字の誤りである。
- ○八六頁第二段第三行の「如上」は「以上」の誤植。第七行の組編は組織の誤り。
- ○八七頁第二段第四行は「右二種は現在語、Pöm の母韻は第三母韻」の誤植。それから其の次行に Pŏm が脱して居る。第十一行「考虎」の音は lao-hu の誤り。第三段第五行の註文中の「瓦貓」は「爲貓」とある可きもの。
- ○八八頁第同行の fonnd は found とある可きもの。第三段第三行の「全史名辭解」は金史名辭解の誤りである。
此の他に、發音符の誤りも少し存するが、印刷が面倒なる爲めに誤植せられたものであるから訂正せないで置く。諒恕せられたい。次ぎに大きな齟齬として私を唖然たらしめたものは、八月號八八頁第二段の「附記」の文が、八月號に出る可らざるものであり乍ら、過つて八月號に出てしまつた事である。此の附記は、此の拙稿の第二囘分、即ち十月號に出る豫定に成つて居る分――それは第一囘分と一緒に、六月十六日に編輯者の許へ送つてあるのである――の末に添へて頂くやうに云ひ添へて送附したのであるが、何うした事か知らぬが編輯者が誤解せられて、第一囘分の末に添へてしまはれたのであつて、其の爲めに、此の辯解文は何の意味やら判らなくなつてしまつて居るのである。例へば「豫じめお斷りして置いたやうに」とある文句が何の事であるか、讀者にはお判りにならないであらうが、其れは第二囘分の末尾に照應するものなのである。又「續稿として次號にでも載せて頂く」と書いたところの其の次號と云ふのは、第二囘分が載つて居る號の次號の事なのである。とにかく、「附記」の文が、何れは出る可きものであり乍らも、出る可らざる場所に、早まりすぎて、顏出しゝた爲めに、「附記」が附記らしからざる變なものとに成つてしまつて、私としては甚だ遺憾に思ふ次第であるし、又讀者に對しても申し譯の無い事である。以上の事をお斷りして置く(八月八日記)
○昨八月九日に前記の附記文を書いて送附したところ今日に成りて、第二囘分の校正刷が屆き、また同時に新村先生よりの御高教を頂いた。新村先生の御高教は H. C. von der Gabelentz の Mandschrisch-Deutsch Wörterbuch., 1812 に
とあること、且つ其の tar と云ふは
- tarbahi
- "eine Art Biber"
- tarbalfi
- "eine Art Raubvogel"
の如き語の tar と關係ありて、これがトラと何ら關係を有するので無いかと云ふ事を御示教下さつたのであり、調査すべき書籍の事をも御示し下さつたのであるが、明日郵送すべき校正刷の附記の文としては、調査が間に合はないから、今は取りあへず右の御高教を賜つた事を申し述べて、調査はこれを他日に期する次第である。なほ此の第二囘分拙稿に關しては、次ぎの二條を補うて置く。即ち狼をカミと云ふ事は、古典全集本採輯諸國風土記所收大和風土記逸文に、
○最後に、トラを耽羅と云ふ地名に結びつける新村先生の高説は、誤つて早く出過ぎた前號の附記の文に述べたやうに、次號にでも述べさせて頂く所存にして、既でに書き上げてある事を申し添へて置く。(八月十日夕、記す)