一四 鈴鐸(五)

○一四 鈴鐸(五)  上須受スズ、下達洛反、奴利天ヌリテ
スズは古事記輕太子の條「あゆひの古須受」とあり萬葉にも須受と書いたのが三例ある、此の假名はかなり固定して居たのか〈和名抄は漢語抄により鈴子、須々と訓じて居るが、これでは清濁不明である〉では「あゆひの古輸孺コスズと例により難しい假名を使用して居る。次ぎに鐸の事は記紀の顯宗天皇條に此の物が見え、歌には「奴弖ゆらぐも」「奴底ゆらぐもよ」とあり、垂仁天皇々子で、沼帶別ヌタラシワケノに相當する方を、鐸石別ヌテシワケノと書いて居る。しかして此の私記にはヌリテとあるが、私記の據つたと見らるゝ大治本には「鈴鐸、下達洛反、周禮、文事奮㆓木鐸㆒武事奮㆓金鐸㆒、倭言奴弖ヌテ〈上の奮字を誤る、今意改す〉とある。此の後のものとしては和名抄には所見無く、〈佛塔具に寶鐸、服玩具に鈴が見えるが倭名を記さぬ。〉新撰字鏡に金篇に民を書いた字を奴利天と訓み、古事記傳によると政事要略にも鐸倭訓塗手とある由である、塗手もヌリテであらう。ヌリテとヌテとを比べるとヌリテが訛してヌテと成つたものと信ぜられ〈記傳もさう解して居る〉その音韻變化は、ノタマフ(ノリタマフ)、ヲガム(ヲロガム)、カヘデ(カヘルデ)、ツクダ(ツダリダ)、カテ(糧カリテ)と同じくラ行音節の脱落であらう。それにしても記紀にヌテとあり、後のものにヌリテとあるは一應は變に見えるが、言葉には一度轉訛したものが、再び轉訛以前の形で行はれる事は珍しく無いから、ヌリテも然う見れば可い。さてヌテのヌの假名、記紀と一致するから正しいのであらう。尤も此の私記にはヌの假名のあるは今一つタヅ奴があるのみであり、奴單用である。因みに、古語拾遺天目一箇神が鐵鐸を作つた事を記し、又天鈿女命が手持㆓着㆑鐸之矛㆒と述べ、其の鐸につき古語佐那伎と註して居るが、延喜式卷二、四時祭式鎭魂祭式の條にも鈴二十口、佐那伎廿口と見える。同じものを二樣に呼んで居たのか、言葉が違ふから物も異るのであるかの何れかであらうが全く判らない。言海にヌリテは鳴リテ、サナキはサヤ〳〵ト鳴クから鏘鳴サナキだらうと云つて居るが批判は出來ない。