本書とよく似たものに、川瀬氏指摘の新韻集二卷がある 全くの色葉分類平仄辭書だが、イロハ各部の部名字は、平他字類抄よりは色葉文字に近く、仄と云はず他と云ふ點は、平他字類抄や伊呂葉字平它に似て居る。字數は色葉文字よりも遙かに多く平字三九一五字、…

さて斯う云ふ本文を有する本書が、平他字類抄より出たと見られる伊呂葉字平它の一類本である事は確かだが、さて其れでは明應本と別本との何れに近いかと云ふと、明應本や別本を見ないで、川瀬氏の読明と寫眞とにより窺ふだけの事だから、殆んど比較の仕様も…

川瀬氏は兩本のチ{(ち)}部の寫眞を出して居られるから、今寫眞と比較できるやうにチ部を擧げると 知 平 街〈チマタ/カイ〉 衢〈同/ク〉 阡〈同/セン〉 陬〈同/シウ〉 塵〈チリ/チン〉 埃〈同/アイ〉 兒〈チコ/シ〉 幾〈チカシ/キ〉 茅〈チカヤ/…

色葉文字は、漢字をば其の代表的和訓の頭字により(毒〈トク〉陣〈チン〉軸〈チク〉智〈チ〉存〈ゾンス〉僧〈ソウ〉疸〈ソ〉俗〈ゾク〉藝〈ゲイ〉の如き國語化した字音語では無論字音頭字による)色葉順に擧げ、さらに以の部、呂の部等の各部に於いて平聲と…

色葉平仄辭書色葉文字に就いて

岡田希雄 書誌學 11(4): 117-122 安田文庫の椎園第三輯を頂戴したが、其れに川瀬氏が、同文庫の伊呂葉字平它明應十年本及び其の別本と目す可きものを紹介して居られるのを有益に拜見したに因み、「別本」の一類と見られる「色葉文字」を紹介して見る。

日典日奧舊藏の温故知新書

岡田希雄 書誌學 11(3): 94-95 臺灣の神田喜一郎氏が、本誌〈昭和十三年四月七月兩號〉で「妙覺寺常住日典」の題名の下に、日典の藏書印ある古書につき述べて居られ、ことに「補正」では、他日日典舊藏書目を作りたいと云つて居られるので、後れ走せながら私…

一〇

圓選詞林を解説するには是非拾霞抄を見る可きであり、拾霞抄を見ずして詞林を解説するのは妥當で無い事は判つて居るが、拾霞抄は今見る事できないから、見たいまゝで、圓選詞林を紹介したのである。不充分な點は諒恕せられたい。最後に藤井先生に御禮申し上…

本書を國語辭書として見る時、其の價値は何うか。添假名の無い事は本書の大缺點であるが、しかし、前半が色葉類聚辭書である事は、康永二年頃までゞは、色葉類聚辭書が少くて、現存のものとしては平安朝末の色葉字類抄の一類(世俗字類抄も節用文字も含む)…

圓選詞林の現在の姿は手習手本であるが、轉寫者が尊圓流の名手であつたから、もと〳〵習字手本でも無いものを、わざ〳〵習字手本用として書いたと云ふのではあるまい。書道の大家たる尊圓親王が千代菊に書いて與へられたと云ふ以上、其の時に於いてすでに習…

本書の正しい名は拾霞抄であると云ふ、其れが圓選詞林と變じたのであるが、さう變へたのが尊朝であらせられたか、又は其の後の轉寫者であつたかは今の所では判らない。拾霞抄と云ふ定つた名のあるものを後人が勝手に改めると云ふ事は考へられないから、表紙…

さて斯うして本書の大體の性質は判つたが、本書が殆んど世間に知られて居ないものか何うか、果して尊圓の御著述か何うか、誰か本書の事を述べて居るものが居ないかと思ひ、例の和田英松博士の皇室御撰之研究を檢したところ、はたして本書が尊圓親王の條に見…

さて識語を檢すると〈句讀訓點は今施す〉 康永二年四月廿九日、依㆓千代菊所望㆒染筆了、更不㆑可㆑有㆓外見㆒、況於㆑與㆓他人㆒哉、勿論々、抑此内名所百首題書㆑之、向後可㆔豫參㆓和歌會㆒之條、不㆑及㆓子細㆒歟、別猶令㆓故障㆒者、速可㆓召返㆒者也(…

表册の疊字は右の如くに色葉類聚であるが、裏册は意義分類である。最初の頁は内題も何も無くて第一行より 雅樂寮 頭 助〈權〉 少允 大屬 少屬 玄蕃寮〈同大舍人寮〉 諸陵寮〈同雅樂寮〉 とあり、以下十三丁の裏頁最後の行まで諸省諸寮諸司の名盡しで、其れよ…

本書は袋綴の普通の二册本で、大きさは縱九寸六分に横七寸、表紙は菊唐草の小模樣あるもの、題箋は藍の雲形あるものに、金の切箔や砂子を施し金銀で菊桐の型を押したものだが「圓選詞林表(裏)」と書いてある。表紙も題箋も書寫當時のものと見られる。さて…

六月十三月に、太田全齋の諺苑を見せて頂くため、藤井乙男先生の御宅へ參上したところ、先生は近頃、伊賀の沖森書店の目録により購入せられた由の圓選詞林と云ふ二册の美濃型寫本をお見せ下さつた。一種の辭書であり、奧書によると、尊圓法親王の御撰である…

尊圓法親王の圓選詞林に就いて

岡田希雄 國語・國文 8(11): 19-32

瑣言(二)

丘衣 藝文 12(12): 790-794 (1921) 竹取物語に赫映姫が月に向つて物思ひをしてゐると、侍女などが「月のかほ見るはいむこと、」と言つて制した事が見えてゐる。そして小山儀の竹取物語抄には古今醫統と云ふ書を引いて、「小兒に月をゆびざゝしむる事なかれ。…

瑣言

丘衣 藝文 12(7): 405-410 (1921) 文學の研究が作品の文學的價値を研究するにある事をのみ、やかましく云ふ人がある。それも大切には相違ないが、解題的研究と云ふ事が非常に重要な事であるのを忘れてはならぬ。是は極めてじみな又面倒な仕事だが此の研究が…

二 師輔傳の夢物語

師輔傳に 「大かた此の九條殿いとたゞ人におはしまさぬにや。思し召しよる行末の事なども、かなはぬは無くぞ、おはしましける。口惜しかりける事は、いまだいと若くおはしましける時、『夢に朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて内裏…

一 業平中將と王侍從との相撲

われ〳〵が大鏡を讀む時には、たゞ何氣無く獨りで讀む時も、教科書として教室で解釋する時でも、概して、事實の穿鑿には觸れないのが普通であるやうであり、たゞ本書の成立年代の考察を試みる時のみ、其の考察に役立ちさうな事項の考察に努力する位の事であ…

大鏡雜考二條

岡田希雄 國語・國文 5(2): 86-91 (1935)

「國語學講習録」に就いて

新刊紹介 岡田希雄 國語・國文 4(7): 89-91 (1934) 昨年〈昭和八年〉の七月二十六日から二十九日へかけての四日間、長野縣松本市で、松本女子師範學校を會場として、信濃教育會東筑摩部會主催の國語學講習會が開催せられ、柳田國男氏、新村出、小倉進平兩博…

近世狂歌史  菅竹浦氏著

江戸時代の文藝として最も多くの鑑賞家と創作家とを持つて居たものは、何といつても俳諧と狂歌とであらう。しかも俳諧は芭蕉を得蕪村を得て、藝術的に高い水準にまで達したのに反し、狂歌は遂に言語遊戲として終始した。今日狂歌が人々から殆ど顧みられなく…

前田侯爵家本三寶繪 池田龜鑑氏解説

源爲憲が冷泉院の女二宮尊子内親王の御爲めに、永觀二年十一月に物して献上した三寶繪また三寶繪詞には、三種の本文が傳存して居る。自ら眼福を得たのでは無いが、諸家の記されたのにより列記すると、其の一は前田侯爵家所藏本にして、寛喜二年庚寅三月十九…

眞福寺善本目録  黒板勝美博士編

名古屋市の眞福寺が内外典國書の古鈔本・古刊本・孤本□の□を夥しく所藏する事に於いて、海内屈指の名刹であるのは、今更らしく云ふまでも無い。「國寶に指定せられたるもの二十八點、又當に國寶に指定せらるべく、もしくは國寶に準ずべきもの殆ど一百點に及…

安田家本假名書論語  安田文庫内 川瀬一馬氏編

假名書論語と云ふのは、單に論語を漢字交り文に延書したと云ふ位のものでは無くて、漢字は殆んど入れない主義で、全部を假名で書いたものを云ふ。斯う云ふ假名書のものは、今日では到底作られさうにも無いけれど、古くは、假名書化する程度には相異があるけ…

柿堂存稿  岡井愼吾博士著

柿堂と云ふは小學の大家文學博士岡井愼吾先生の號である。博士は福井縣の人、明治二十六年四月小學校本科准教員の免状を得て小學校に奉職せられて以來、滿四年後には、「亂脈」を極めて教壇も立つて居ない福井中學校に於ける一年の受難を經て、伊豫の西條、…

新刊紹介

岡田希雄 潁原退藏 國語・國文 6(2): 113-121 (1936)

以上で自分は「玉篇の研究」に就き單に紹介――批判では無い――したので必るが、其れに因み、非禮ではあるが、斯くあらまほしかりきと感ずる事に就いてなほ一言したい。そは、要するに博士の記述は老婆心に缺けて居る傾きがあると云ふ事である。これは本書が學…

先づ内容を云ふと、「玉篇の研究前篇」は(一)玉篇考正篇五章、(二)玉篇考續篇七章より成り、「玉篇の研究後篇」は(一)玉篇逸文内篇と(二)同外篇とより成り、最後に索引として(1)「前篇にて論及せし文字及び重要なる事項の索引」(2)「玉篇逸文索引(…